皆様こんにちは、代表のさきです。
いつも当ブログをご覧いただきありがとうございます。
今回は、私の価値観を一変させたファッションについてご紹介します。
ぜひ最後までご覧ください!
服に無頓着だった私

大学生のころは、とにかく時短にしたくて同じ服をローテーションしていました。
そのほうが変化がないのと体調管理などもしやすかったからです。
ユニクロ・無印・GUなどのファストファッションが一番楽だったので、ほつけても「まだ着られるだろう」と、外出をしない限りそれらの服ばかり着ていました。
いわゆる、ブランド品に全く興味がなかったのです。
ルイヴィトンやザ・ノースフェイスなどブランドを着ている方たちを見ていても「何がいいんだろう・・・」と、ブランドのよさがわからなかったんです。
ただ、ある番組を見て私の価値観が一変することになります。
アンミカ先生のパリコレ学でのめりこむ

過去「林先生が驚く初耳学」のコーナーだったアンミカ先生のパリコレ学。
私はこのコーナーを毎週楽しみにしていました。
モデルの難しさや過酷さ、服がデザインされるまでの過程に興味津々だったからです。
ポージングやウォーキングなど、普段の歩き方まで参考になる部分がたくさんありました。
アンミカさん、冨永愛さん、レスリーキーさん、コシノジュンコさん、桂由美さん、山本寛斎さんなど、著名な方々の振る舞いを見て、私の価値観がガラリと変わりました。
そのタイミングで、ちょうど私は大学を卒業して社会人を目指すころでした。
「仕事関係はいいものを身に着けよう!」と、22歳にしてオシャレに覚醒することになります。
サンローランのライダースでオシャレに目覚める

社会人となりバックや財布など小物はブランドでしたが、服はそうではありませんでした。
なぜなら、今まで極力人と関わらないようにしてきたからです。
でも、人間関係を切り離して生きてはいけませんよね。
何かいいモノがないかと探していたとき、今でも私の夢でもある服と出会います。
それが、サンローランのライダースでした。
高島屋の直営店で販売されていたのを見たとき、私ははじめて服が輝いて見えたのです。
当然超高額でしたが、「いつか身に着けたい!」という夢ができたんですね。
しかしいろいろ見ていても、丈感やフィット感がしっくりこずどうしようかと思っていた時。
母が持っていた財布が、私とコムデギャルソンを出会わせてくれたのです。
コムデギャルソンとの出会い
出会ったのは、なんばパークスでした。
はじめて試着したとき、鏡を見て「これが欲しかった!!」と感動したのを覚えています。
丈感やフィット感、デザイン、機能性など見事に私の理想とハマり、その場で即決済しました。
店員さんとの会話や服を見るうちに魅力に沼り、「このブランドは私のためにあるのか」とまで思ったほどです。
私は、この日からひとりのファンになったんですね。
今や私のタンスはコムデギャルソンが最も多く、近々新たに迎え入れる予定でもあります笑
せっかくなので、少し調べてみました。
日本三大ブランドと1980年代の「黒の衝撃」

日本三大ブランド(コムデギャルソン・ヨウジヤマモト・イッセイミヤケ)のひとつであるギャルソンは、デザイナー・川久保玲さんによって創立されました。
コムデギャルソンのコンセプトは「脱構築と型破り」。
1981年のパリコレクションではヨウジヤマモトと共に参加。
ボロルックや穴空きニットを多用したスタイルで、当時のファッション界に衝撃を与えました。
批判もあったようですが、ファンは全身黒づくめであることから「カラス族」と言われたほど。
当時のスタイルは今も伝統として使われ、Tシャツでもギャルソンらしさが詰まっています。
私はフリルやリボンは身に着けないんですが、ギャルソンは「かっこいい・かわいい」の双方にも当てはまらない自由なスタイル。
そのデザインにほれ込んで、私も服を多角的な視点から見るようになったのです。
女性がマニッシュにしたり男性がキュートにしたりと、ファッションは人の特権だと考えています。
これからも自分が着たい服を着て、ありのままの自分を見せていきたいです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!